人間には4つの気質があります。
そして、その気質を
『狭義の人格』が包んでいます。
これは、
幼少期の頃に形成されます。
養育者・親の責任であり、
本人の責任ではありません。
『狭義の人格』は、
大人になってから
変わることはありません。
「それをどうやって活かすか」
と言うことが課題なのです。
これは逆に、
親の責任でなく本人の問題。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
狭義の人格は養育者の責任ですが
それを維持するのは本人の責任
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
狭義の人格を形成したのは
養育者の責任ですが、
それを維持しているのは
本人の責任なんです。
そしてさらに、
狭義の人格を包んでいるのが
『習慣的性格』というやつ。
この部分は、
努力次第で
いかようにも変わります。
この習慣的性格によって、
人や事態に接しているのです。
ゆえに
「性格が悪い」と言われる人は
言い換えると
《歪んだ習慣を持っている人.》
となるわけです。
習慣的性格は
どう人と接するか?
が基本となります。
すれ違いざまに肩がぶつかったとき
ムカッと腹をたてるかもしれません。
が、そこで、
「イテェなバカ」というか、
「恐れ入ります」と言うかで、
その人間の価値が決まる
ということです。
ニッコリ笑って挨拶するか、
そっぽを向いて挨拶するか。
たったその違いだけで
「愛想のいい人だ」
と思われたり
「無愛想な奴だな」
と思われたりするのです。
習慣的性格は
『態度』によって現れます。
「性格が変わる」と言うのは、
この《習慣的性格=態度》のことを
指して言っているのです。
性格には
「変わる部分」と
「変わらない部分」があります。
「変わらない部分」は納得し
「変わる部分」は必死に変える。
習慣的性格が変われば、
人が自分に接する態度も
変わってきます。
その方向の違いだけで、
より幸福を感じるようになったり
不幸を感じるようになったり
するわけです。
習慣的性格を見直すこと。
それは
「自分が自分をどうみているか」
という点。
さらに、
自分はどう扱われているか
どう評価されているか。
これを知るには
観察することです。
つまり
【相手は自分の鏡である】
ということです。
目の前に、
根性の腐った奴がいた。
すると
そいつの性格は、
自分の中にも眠っている
と考えるのです。
ただ自分は
理性が強く働いているので、
その眠りを覚まさせないように
しているだけだと。
習慣的性格を、さらに
『役割性格』が包んでくれます。
これは時と場合によって、
無意識的に変わったりします。
家族と一緒にいるときの自分、
会社にいるときの自分、
友達と遊んでいる時の自分は
それぞれ違いますよね。
それが『役割性格』です。
この役割性格を、
社会に適応するよう
上図に帰ることができたら
『おとな』と言えるのです。
僕も占い師でいるときと、
社長であるときと、
有人と話す時では、
まったく違う人格です。
それを認識できてさえいれば
なにも問題ないのです!
このように性格は
4重構造になっていて
そして気質は変わりません。
だから気質は
変えようとしなくていい。
なぜなら
気質には
良いも悪いもないから。
知っておくべきポイントは、
自分に気質を知らず
それを愛せず
活かせなかったら不幸になる
ということです。