他人の目を気にするなんて とても滑稽だと分かりますよね

先日、プロ歴2年の占い師さんが
飛び込みで鑑定に来られました。

 

「某所の占い館で待機してるけど
ぜんぜんリピーターにできない」

「どうしたらもっと
稼げるようになりますか?」

という相談でした。

 

でも、よく話をしてみると

「他人の目が気になって
人前でうまく話せない」

という話題になったのです。

 

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他人の目を気にするなんて
とても滑稽だと分かりますよね
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占い師はじゃべる仕事なので
人前で緊張するようではダメです。

 

ただ、僕たち日本人って、
他人の目を気にしますよね。

 

日本の歴史を見れば、
その原因がわかります。

 

鎖国が長く続いてきた島国。

 

「村」単位でのルールを基盤として
回りと強調することが重要だった。

 

出過ぎた真似をせず
自分を押し殺して生きていく
必要があったわけです。

 

だから日本人は、
すごく他人の目が気になる。

 

ちなみに、
西洋などのキリスト教文化では、

他人の目よりも
「神の目」を気にします。

 

では、ぼくたち日本人が
他人の目を気にしてしまうのは、
しょうがないのか?

 

じつは

成功する人たちは
他人の目が気にならない

という共通点があるんです。

 

どうすれば

他人の評価を気にせず、
自由になれるのでしょう。

 

緊張したときは
いったん「自分」から離れる。

 

そして「他人の目」で
自分を見つめてみる。

 

「自分がどう思われるか」
という意識をやめるんです。

 

そして、

「他人んが自分をどう思うか」
と考えるのです。

 

似ていますが、
根本的に違いますよ。

 

言葉のアヤでもありません。

 

「人目を気にしちゃいけない」
と思えば思うほど

「本手尾は変な人だと
思われているのではないか」

なんて勘ぐってしまう。

 

そうやって
ネガティブな妄想が膨らむと

ついには、他人の心が
分からなくなってしまいます。

 

おそらく<きまじめ>からくる
【がんこさ】でしょうね。

 

根が真面目だと、どうしても
固く苦しく考えてしまう。

 

どうせなら、
「他人がどう思うか」

を考えた方が良い。

 

自分で自分のことを、
「この人、変わった人だな」
と思ってしまえばいいんです。

 

客観的に、自分を
そう捉えて笑ってしまうのです。

 

「変だけれど、そこが可愛い」
と思ってしまう事です。

 

自分のことだと思うから、
重大に考えてしまうんでしょうね。

 

他人を怖れてしまう人は、
「自分の臆病さを
他人に悟られたくない」

と考えます。

 

そして、
必死に隠そうとする。

 

ところが、他人にとっては、
そんなのどうでもいいことです。

 

人は、他人の
どんなところに興味を持つか
それを知りましょう。

 

他人からみれば、

「何を楽しんでいるか」
「どんな生きがいをもっているか」

といことに興味はあっても

「何を怖れているか」
という点に興味なんてないんです。

 

そうやって考えてみると、

他人の目を気にしたり、
人の目を怖れていることが、

とても滑稽だと分かりますよね。

 

自意識を減らして
自分を自在に活かしましょう。

 

ただし「自分を捨てる」とは、

自分の価値を否定する
という意味ではありません。

 

【他人の立場になって考える】

ここがポイントです。

 

自分に自信を持つために、
とても重要なことです。

 

顔についた汚れって、
鏡がないと見れませんよね。

 

ですから、つねに
心に鏡を持つわけです。

 

他人の立場になって
自分を見ること。

 

それは、
自分自身と向き合う事なのです。

 

だれのために
何かをしてあげるときもそうです。

 

「どうすれば喜んでくれるか」

それだけを考える。

 

自分が言いたいことではなく、
相手が言って欲しそうなことを
考えて話すようにする。

 

他人の喜びを、
そのまま自分の喜びとする。

 

それができれば、
喜びは何倍にも増えます。

 

「他人の目で自分を見る」

 

これを心掛ければ、
堂々と接することができます。

 

その結果、

他人から認められるので、
自身が生まれてくるのです。

 

 

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