人はなぜ、オカルトや宗教のような いかがわしい世界に惹かれるのか

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人はなぜ、オカルトや宗教のような
いかがわしい世界に惹かれるのか
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人は神秘的な光景を見ると、

自然と「精霊」とか「神」を
連想してしまう心があります。

 

でも考えてみると、

「神」や「精霊」を想像することで、
現実に生きる自分の存在や
意味を確かめようとしている
ようにも思えます。

 

占い・都市伝説といったオカルトは
いつの時代でもウケがいいです。

 

現実を生きる僕たちが、

なぜオカルトのような
いかがわしい世界に惹かれるのか

考えてみたいと思います。

 

そもそも

オカルトや神秘学って、
なんなのでしょう。

 

非現実的で、
妄想癖の強い人たちの趣味。

 

まったく関係のないものを
結びつけて考える幼稚な考え。

 

さらにいうと、中二病w。

 

でも、言い方を変えると
「連想の科学」とも言えます。

 

オカルト的な考え方があるからこそ
占いの技術は発展したといっても
いいのかもしれません。

 

オカルトは占い師だけでなく、

カール・グスタフユングなど
心理学者の心をとらえてきました。

 

心理学の分野では
「呪術的思考」とも呼ばれていて、

精神的に未熟な人の
典型的な考え方とされています。

 

つまり「子供っぽい」という
マイナスのイメージですよね。

 

しかし、

それをあえて
逆説的に見ましょう。

 

つまり

果たして大人は
精神的に熟成しているのか、


と。

 

絶望的な現実を目にしたとき、
往々にして人は、

起こった信じられない現実を
どう解決してよいかわからず、
混乱してしまいます。

 

そうして、
思い込みや妄想という
非現実的な世界に逃げ込みます。

 

あるいは、趣味に走ったりします。

 

そういった意味では
大人になっても子供と同じで、
まだ精神的に未熟。

 

その妄想の世界にルールがなければ
際限なく仮想世界を漂って、
精神を病んでしまう。

 

そこで「偶然」起こった現象に、
なにかしら共通する事象を見出して
関連付けて「ルール」をつくる。

 

そうすることで、

「これが自分の使命なんだ」
「自分は間違ってなかったんだ」
「自分みたいな人間も変わるんだ」

と、ある種の安心感を
与えるわけです。

 

20世紀最大のオカルティスト
アレイスター・クロウリー
こんな言葉を残しています。

 

「世界は、まるで鏡のようなもの。
世界を変えるには自分を変えるしかない」

 

クロウリーは高名な魔術師です。

 

魔術師はいわば、
精神世界の研究者であり、
達人ともいえる存在です。

 

そんな精神世界の達人にしては、
意外にも現実的な言葉ですよね。

 

オカルトを研究しつくした彼には
確認があったのではないでしょうか。

 

たしかにオカルトは、
壮大なロマンや夢物語で、
妄想の産物なのかもしれない。

 

でもその前に

「人間とはいったいなんであるか」

これを、

心理学とか哲学とは
また違った方法で読み解こうとする
人間学」なのかもしれない、

と思うわけです。

 

 

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