遠慮によって、 人間関係が崩れることもある

恋愛での悩みのほとんどが、
コミュニケーションの問題だと思います。

 

コミュニケーションについて考えるとき、
日本特有のマナーが影響します。

 

それが「節度」とか「節操」という感覚。

 

過不足なく「いい塩梅」に
そしてできるだけ穏便に。

 

「調和」を大切にする、
日本人らしい考え方です。

 

対人関係では
「謙譲の美徳」とも呼ばれます。

 

実は、これが
クセモノなんですね。

 

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遠慮によって、
人間関係が崩れることもある
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本来、人間関係を
スムーズにするための謙譲の精神。

 

それが、いつも間にか誤解され、
コミュニケーションの障害になってしまう。

 

過剰な遠慮も、そのひとつです。

 

謙譲と遠慮、、、

 

このふたつは、
似ているようで全く違います。

 

多くの日本人は、
初めて会う人や、さほど親しくない人に対して、
遠慮しがちになる傾向があります。

 

自分の好みや気になったことを
できるだけ抑え、
相手に合わせようと努力する。

 

遠慮とは、
自己表現を抑える力のことです。

 

これがのちのち、
亀裂を生む原因にもなるわけです。

 

いくら我慢強い人でも、
自分をずっと押さえ続けるのは難しい。

 

仮に努力の末、我慢し続けても、
必ずどこかで歪みが生じる。

 

ある時、

「こんなに我慢してるのに…」
というエゴが出てくる。

 

その結果、
相手や状況に対しての
不満に変わる。

 

人間て「良い人」のままでは、
居続けられないんですよね。

 

そして
不満を抑えきれなくなると、
突然キレたり、
理由も言わずやめたりする。

 

我慢してきた分だけ、
余計に過剰な表現や行動を
してしまうのです。

 

で、周囲は

「え、なんで?」
「良い人だったのに…」

となる。

 

場合によっては、
「嫉妬」や「恨み」に発展することもあります。

 

このように
遠慮するデメリットは、
かなり多いんです。

 

では本来の謙譲や謙虚って
いったい、どんな意味なんでしょう。

 

簡単にいうと、
威張らない自己表現であり、

さらに言うと、
自分を低く見せる表現のことです。

 

自分の意見を主張する前に、
必ず相手の意見を聞く。

 

その上で、
自分の意思を伝える。

 

これが謙虚であるということ。

 

遠慮と決定的に違うのは、
ちゃんと自分を表現する点。

 

ただ「相手が先」で「自分が後」というだけ。

 

例えば、僕は
誰かと食事に行くとき、

「何が食べたい?」
と聞きます。

 

すると
「なんでもいいですよ」
と答える人が、結構多い。

 

でも、正確な本心ではないはず。

 

「なんでもいい」
と答える人の本心は、
恐らくこんな感じ。

 

「今すぐには思いつかない」

「候補を出してもらえると選べる」

「食べたいものはあるけど、
相手の好みと会わないかも…
だから相手の意見に合わせよう」


どうですか?

本心を聞いたところで、
別に失礼にも当たらないし、
腹も立たないはずですよね。

 

けれど、
「なんでもいい」
なんて言われてしまうと、

「選ぶのが面倒くさい」とか
「あなたとの食事に興味無い」
という印象を受けてしまうんです。

 

もったいないですよね。

 

自分の意見を言ってしまうことで、
賛同を得られなかったり、
否定されることもあるでしょう。

 

でも、気を使ったあげくに、
相手に不快な想いをさせたのでは、
本末転倒ですよね。

 

だったら、素直に
本心を言った方が良い。

 

「何か食べたいものありますか?」
と質問された場合、


「そうですね。考えるので
ちょっと待ってください」


「昼はカレーを食べたので
別のものがいいです」


こんな風に
答えのバリエーションはいくつもある。

 

それこそ「なんでもいい」わけです。

 

「とりあえず」という感覚で、
面倒くさがって返答したり、
承諾しないで。

 

後々、負担にならないよう、
相手に敬意を払うことです。

 

無理はしちゃダメ。

 

けれど敬意は払って、
ちゃんと自己表現してあげる。

 

これが、
健全なコミュニケーションなのです。