非難や中傷する人を 遠い眼で静観する

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非難や中傷する人を
遠い眼で静観する
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地球上には
たくさんの人がいて、

それぞれ違う価値観で
生活しています。

 

世界って広いし
いろんな価値観の人がいます。

 

あたなにとって
どうでもいい人たちでも、

別の人は、
その人を大切だと思うわけです。

 

今はどうでもいい人だけど、
いずれ大切に思うかもしれない。

 

どうでもよかった人なのに
大切に思うようになったり、

いま親しい人と
疎遠になったりもします。

 

こうして、
増えたり減ったりするのが
人間関係です。

 

友人とは、

欠点や未熟さを全て知っていて、
それにもかかわらず
お互い好んでいる人のこと、

 

長所や特器が似ている人よりも

短所や苦手分野が
共通している人の方が、

より深い友情になるわけです。

 

現代社会を生きるぼくらには、
多くの不安がつきまといます。

 

それは、
現代が情報過多だから。

 

あふれる情報のすべてを
把握するのは不可能です。

 

同じテーマにも関わらず、
真逆の意見や理論がある。

 

それは、賛同者や反対者が
たくさんいるからです。

 

ふつう民主主義だと
多数決で決めようとします。

 

けれど、

少数意見の方が
正しい場合もあるのです。

 

だから、また
そこで困惑する。

 

すると人は、
なるべく専門家の意見に
同調するようになるわけです。

 

ところで、

「承認不安」っていう言葉
ご存じですか?

 

叱責、差別、嘲笑など、
批判されたり、軽蔑される不安。

 

現代では、特に
「承認不安」に陥る人が多い。

 

この「承認不安」を乗り越えるには
自分の価値観に合わない場面で、
どう考えるか。

 

まずは、そこを
見直してみることです。

 

周囲の承認を得ようとして
自分の価値に合わない考えを
無理に合わせようとしていないか。

 

自分の価値観と会わないことだと
ちゃんと認識しているか。

 

ここがポイントなんです。

 

決して、

「自分の価値観を押し通せ」
という意味ではありませんし、

「周囲に合わせて意思を捨てろ」
という意味でもありません。

 

自分の価値観と、
周りの価値観を比較し、
納得した上で行動すること。

 

たまには、
自分の価値観にそぐわない行動を
してみるのもいい。

 

自分で納得した結果の行動ならば、
自由を奪われたことにはならないし

よく考えて、望むのであれば、
別の価値観であっても
取り込んでもいいのです。

 

言われたことに、
ただ取り込むのではなく、

自分で考えて納得して
取り込めば問題ないのです。

 

その際、

何かしら問題があっても、
それはっ全て自己責任。

 

そういう思考であれば、
他者批判に発展するなんて
起こるはずありません。

 

周りの承認を必要とせず、
自分の価値観で行動する人もいます。

 

こうした人は
変わり者と呼ばれやすいけど、
でも、それでいいのです。

 

なぜなら、人間のほとんどが
「変わり者」だからです。

 

「普通の人」なんて、
全体の5%程度しかいないのです。

 

孤独を恐れ、
周囲に合わせるから「不安」になる。

 

そうして、

いざ合わせてみると
今度は承認不安にさいなまれる。

 

不安を避けるためにとる行動が、
逆に不安になる要素を作ってしまう。

 

これが「共依存」のループを
生み出すわけです。

 

そのループから抜け出すために、
「変わり者」としての自分を
いったん受け入れる。

 

そして、
納得した上で行動する。

 

人間は、ほとんど変わり者。

 

もちろん自分も含めて!

 

だから争おうとしないのが
賢い生き方なのです。

 

争おうとする人や
誹謗中傷をする人を
遠い眼で静観するのです。

 

承認欲求が強いと
批判したり中傷したり、
クレームを言いたくなる。

 

でも、

それが無駄なエネルギーだって
いつか分かればいいよね。