偶然見つかったように感じる 不思議な「縁」のカラクリ

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偶然見つかったように感じる
不思議な「縁」のカラク
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僕の仕事は、
人との出会いが多いです。

 

ほんと、いろんな業種、
いろんなタイプや性格の人が
毎日出入りしています。

 

出会うのも縁、
別れるのも縁です。

 

日本人は
「縁」という言葉が大好き。

 

おそらく
「縁なんて信じない」

と言い切る人は
ほとんどいないのでは。

 

とくに日本では
「ご縁」という言葉が
社会通念となっています。

 

日本人にとって
「縁」ってなんでしょうか。

 

一般的には「ご縁」という
すごく便利な言葉として
使われています。

 

例えば、
「いいご縁がありますように」
と恋愛成就を祈願する。

 

「あの人とは縁がなかった」
と、疎遠になった根拠にする。

 

これらは、

人と人とのつながりが
「縁」によって起こる

という考え方が基本です。

 

さらには、

ようやく見つけた天職
本屋で偶然見つけた一冊の本
偶然見つかった理想の住まい

 

「人」にかぎらず「モノ」や「職業」
果ては「土地」にいたるまで
すべて「ご縁」のたまもの。

 

自然とそう考える習慣が、
日本人に根ざしていますよね。

 

かなり古い時代から日本人には
「すべての物事に髪が宿っている」
と考える習慣がありました。

 

偶然起こる
予測がつかない現象は
すべて「神様」の意思。。。

 

つまり、
「人を超越した力のせいだ」
と考えた。

 

占いで言うところの
「運」や「ツキ」と
ニュアンスが似ていますよね。

 

神秘的な香りがする言葉です。

 

で、どちらかというと

ポジティブな意味で
使われるのも特徴です。

 

「ご縁がなかった」
という場合も、

上手くいかなかったことや
残念な結果に終わったことを、

前向きに考える姿勢です。

 

けれども、本来「ご縁」は
自分でコントロールできます。

 

もともと「縁」という言葉は
「縁起」とか「因縁」という
単語を省略したもの。

 

どちらも仏教の用語です。

 

因縁なんて言うと
なんだか物々しい感じがしますね。

 

因縁は
「因」と「縁」に分かれます。

 

「因」とは「原因」ですが
「縁」は「条件を意味します。

 

「どうして今、
こういう状況になってるの?」

という質問に対して

「なにかしらの原因と
いくつかの条件があるから」

 

と答えるのが「因縁」の考え方。

 

ちなみに「縁起」も
似たような意味です。

 

つまり「縁」は

予測できない神の仕業ではなく
何か理由があって
必然的につながっている。

 

そんな関係を表現した言葉。

 

欲しかった本を見つけたのは
探していたから。

 

恋人と出会ったのは
出会うために行動したから。

 

そう。

 

「人」や「モノ」との出会いは

偶然のように思えて
実はすべて必然。

 

なぜならば
目的に向かって「行動」したから。

 

それが本来の「因縁」です。

 

友人に会うために約束したり、
必要なモノを買うためにお店に行く。

 

基本的には
それと同じことです。

 

シンプルな考え方だし、
確かにその通り。

 

でもちょっと
そっけない感じもしますね。

 

では、そんな当たり前のことを
どうして不思議な出来事と感じるのか。

 

それは、
本人が意識していない場合です。

 

たとえば、

すごく欲しくて、探しているのに
ずっと見つからないものがある。

 

気になっているから、

頭の片隅には
それに関する情報が刻まれる。

 

ふらっと立ち寄った場所では
そのことを意識していない。

 

でも、脳波ちゃんと覚えていて、
その情報を探し続けているのです。

 

ただし、それと出会ったとき
塔の本人はその自覚がありません。


だから、

「あ、そういえばこれ、
ずっとさがしてたんだよね。」

 

と、まるで
偶然に見つかったように感じる。

 

これが「縁」のカラクリです。

 

つまり、本質的には
求めて行動しないと
「縁」は生まれないのです。

 

 

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