理解し、尊敬している人からこそ 師匠を超えようとするのです

前回は

守破離について
軽く考察しました。

 

達人たちは皆、過去に
自分の師匠を超えてきました。

 

ですから自分の弟子にも
「破」を促します。

 

場合によっては
突き放すこともありました。

 

子飼いにしておいて、
「自分に依存させよう」
などとは思っていません。

 

僕も若かりし頃、
理想的な師匠が見つかったら、

先生が読む本や観る映画、
食べ物や食べ方んあどを
積極的に真似てみました。

 

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理解し、尊敬している人からこそ
師匠を超えようとするのです
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崇拝するカリスマに挑戦しよう
などと思うのは、恐れ多い、、、

いや、違うんですね。

 

師匠を理解し
尊敬している人からこそ、
師匠を超えようとするのです。

 

「魚を与えるのではなく、
魚釣りを教えよ」

という格言がありますよね。

 

達人というのは、
さあかなの釣り方を教えるのです。

 

さて、
「破」から「離」なんですが、
さすがに師匠は簡単に超えられません。

 

しかし超えようと誓い、
挑戦するからこそ、
そのレベルに近づけるのです。

 

依存しようとする姿勢では、
何も生まれませんからね。

 

ところが、
ここで重要は話があります。

 

多くの人は
「離」を勘違いするのです。

 

師についた3年間で、
「いつか超えよう」と考えるのは
おこがましい発想です。

 

さらにいうと、

文字通り、
本当に離れてしまう
おばかさんが多いのです。

 

僕は今でも、
師匠のもとに顔を出します。

 

特に何か新しい占術を学ぶ
というわけではありません。

 

師匠と定期的に会うことで、
自分の小さなミスに
気が付くキッカケとなるんです。

 

師匠は、僕に
何か指導してくれたり、

注意してくれたり
するわけではないです。

 

それは、僕自身が
何冊も本を出版し、

お弟子さんを増やし続け、
占い館を経営し、
更なる占術研究を怠らないからです。

 

つまり、
依存しているのではなく、

気持ちのリフレッシュと
あくなき探求のために
通い詰めているわけです。

 

これが真の「離」です。

 

お客さんの中には、
先生の生徒さんも
何人かいらっしゃいます。

 

ようは、

恩恵を受けているわけなので
それをお返しするという意味も
含まれているのです。

 

単なる占い師なら、
師匠はいらないかもしれません。

 

しかし、僕は経営者であり
超一流を目指す探求者。

 

死ぬまで修行。

死ぬまで現役。

そして死ぬ日が引退。

 

そう考えているからこそ、
守破離を体現できるのです。