悔しくて必死で働いても、 本当の自信が持てない理由

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悔しくて必死で働いても、
本当の自信が持てない理由
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「自信が欲しいです」

「自信をつけつには
どうしたらいいですか?」

 

という質問をよくもらうので
答えなくてはなりません。

 

話を聞いていると

「自信を持つためには、
何かを得る必要がある」

と、思い込んでいる人が多いです。

 

それが資格や認定書だったり
知識や経験だったり、、、

でも、実際は違うんですよ。

 

何かを得たからといって、
自信が付くわけではないのです。

 

もちろん、目標を持って
努力するのはよいことです。

 

ただ重要なのは、
その「動機」なのです。

 

例えば、

人からバカにされるのが悔しくて
必死で働いたとしても
それでは本当の自信は持てません。

 

そんなのは単なる優越感であり
虚栄心でしかないのです。

 

「バカにされる側」が嫌だった
だから努力した、、、

という動機だと
何かしらの成果が出ても

「バカにする側」に回るだけなんですね。

 

それでは、ただ
虚しさが残るのみです。

 

自分に自信のない人が
自信のないまま資格を取得しても
達成感は得られません。

 

表面的に成功したかにみえても
幸せとは言えないのです。

 

それは自信がついたのではなく

「他人を見下す」ことで
勝ったような気分になっただけ。

そんなのは幻惑です。

 

しょせん「偽りの自信」ですから
尊重されないのです。

 

一部の、よく知らない人からの
賞賛はあるでしょう。

 

しかし、ふとした瞬間に、
激しい劣等感に苦しめられます。

 

「勉強ができない」
「成果が上がらない」
「見捨てられるのが怖い」

そういった恐怖感があると、

自分の感情を押し殺して
相手の言いなりになって苦しみます。

 

「相手に合わせることで
大事にしてもらおうとする」

「精一杯尽くせば愛される」

こんな妄想に支配されていると
努力しても幸せにはなれません。

 

尽くしてもらわなければ満足できない
そう考える人は、

どれだけ尽くしてもらっても
感謝が自然発生することはなく、

「上手く相手を利用している」
という支配欲が満たされるだけ。

 

それでは、
愛は得られません。

 

「これだけ尽くしたのに認めてもらえない」

という焦りと妬みが募っていくのです。

 

「努力している」

でも、それが
空回りしている気がする、、、

 

そう悩んでいる人は、

恐らく「動機」が
間違っているはずです。

 

なんのために
仕事をしているのか?

 

なんのために
勉強を始めたのか?

 

なんのために
その人と結婚したのか?

 

こういう「動機」が濃厚だと
感謝の気持ちが強くなります。

 

今仕事があって、
やりたいことが見つかって
好きな人と一緒にいられる

 

これが、最高の幸せのはず。

 

これから先の成功を願うのなら、
いま現状の仕事は人間関係に
心から満足することです。

 

つまり自信とは、

過去にあった出来事からし
湧いてこないわけで。

 

ということはです、

過去を否定していたら
自信なんて消えちゃいますよね。

 

そして「今」というのは
過去の集大成だから、

現状が悪いということは

過去を否定していたり
過去の出来事に感謝しなかった

という理屈になってしまうのです。

 

僕は新規事業をするとき、
まず、この方程式を
再認識することから始めます。

 

そうでなければ

つまずいたとき
誰か他人のせいにしてしまうから。

 

他者を批判していたり
社会に憂いを持っているだけで
自信は持てなくなっていく、、、

これが自信のカラクリです。