誰かのために何かをする人は、 自分は役立たずと感じている?

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誰かのために何かをする人は、
自分は役立たずと感じている?
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「犠牲」の根っこには、
我慢とか無理があるってこと
知っていますか?

 

行動の動機が「恐れ」ならば、
それは犠牲となるのです。

 

犠牲をやめるには
どうすればいいのか?

 

それが人生の大きな課題。

 

犠牲とは根性は
少し似ているが違います。

 

こらえる力、
踏ん張る力はとても大切だが、

それは犠牲によって
成り立ってはいけないのです。

 

我慢や無理は
「怖れ」が作り出すのです。

 

逆を言うと、

怖れが取り除ければ
我慢や無理をしなくなります。

 

怖れを取り除けば、
行動の動機が「愛」となるのです。

 

誰かのために何かをする人は、
「何もしない自分は役立たず」
と感じている危険性があります。

 

役立たずと感じると
「自分は必要とされないのでは?」
という不安になるからです。

 

「何もしない自分」
を恥ずかしく感じるために、

「なんでもいいから何かしなくちゃ」
と思ってしまうわけです。

 

「何もしない自分には価値がない」
という感情を「無価値感」と言います。

 

「自分には価値がない」
と思う心境です。

 

無価値感になると

「自分はダメな人間だ」
と思いやすくなります。

 

それはとてもマイナスで、
怖れから犠牲的な精神に陥るのです。

 

過去に、
誰かを助けられなかった経験や、
誰かに酷い仕打ちをしてしまって
強く罪悪感があると

「何かで罪滅ぼしをしよう」
という発想になるのです。

 

自分の幸せを後回しにし、
誰かのために何かをするといった
犠牲的精神が生まれてしまいます。

 

この気持ちは罪悪感であり
感謝とか愛情はないので、
周囲から評価対象にはなりません。

 

罪悪感は、つらい感情であり
生産性が欠如してしまいます。

 

罪悪感を覚えないように
自分の幸福を放棄して、

「無関係な弱者を救済したい」
という傾向が生まれる人もいます。

 

無価値感や罪悪感を
憶えることが怖くて行う行為には、
真の愛情が宿っていません。

 

動機が不純なのです。

 

努力をする人、
頑張る人、
我慢強い人、、、

 

表面的には、
とても素晴らしい人に映ります。

 

しかし、その動機が
「怖れ」や「恐怖」であるかぎり、

本当の感謝や感動は
得られません。

 

しかも

その人の言葉から出る
「ありがとう」には血が通っていないので、
人を動かすことができないわけです。

 

自分に価値を感じられない元凶は
「愛されなかった」
「大切にされなかった」
という悲しみ、寂しさにあります。

 

逆に罪悪感の元は

「愛してあげられなかった」
「助けてあげられなかった」

さらにいうと、

「やってしまった」
という反省から生まれます。

 

できなかったこと、
ダメだったことへのフォーカスを
どうしたらやめられるか。

 

人から価値をもらうのではなく、
自分で自分に価値をつけるのです。

 

それには、
まず「自分を許すこと」がテーマになります。

 

普段から言いたいことを
ハッキリ言えない人は、

いざい言わねばならない時に興奮して
感情のコントロールが利かなくなり

つい高圧的で断定的な
物言いになってしまうのです。

 

だから常日頃から、
言いたいことはハッキリ言って、
重要な時には寡黙になるといいんです。

 

ジタバタしないこと。

 

焦ったところで名案は浮かばないし、
焦ったり泣いたりする姿を見ると、
人は去ってしまいます。

 

焦っている人は、
大事なものを見失って、
失敗しやすいからです。

 

そういう人の側にいると、
呼吸が浅くなり、
無駄な苦しみを味わってしまいます。

 

考えても名案が浮かばないときは、
古いフランス映画とか、
ドイツの戦争映画なんかを見ますね。

 

英語じゃなくて
ヨーロッパの言語の映画を。

 

それには意味があるんです。

 

考えたって
名案なんて浮かびません。

 

だから考えない。

 

それよりも
名画を観るんです。

 

できるだけ古い、
モノクロで手書き字幕がいいです。

 

集中して見ないと
一瞬で意味が分からなくなるでしょ・

 

だから集中力が付くんです。

 

スランプになったら、
集中することが大事。

 

だから古い
ヨーロッパの映画がいいんです。