余分な動作を「捨てる」ことが 合理的で美しい動作を生み出す

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余分な動作を「捨てる」ことが
合理的で美しい動作を生み出す
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さて、

僕が考える
究極の開運法があります。

 

それは
「無駄のない動きを身に付ける」
という方法です。

 

とくに、

茶道や華道に見られる
「無駄のない動作」は、

洗練されていて美しく、
そして合理的で機能的です。

 

では、なぜ

美しく合理歴な「作法」が
開運につながるのでしょう。

 

まず「合理的とは何なのか」を
考えてみる必要があります。

 

合理的とは、

なにか一定の目標に向かって、
必要なものだけを揃える行為。

 

たとえば、茶道なら
「お茶を飲む」のが目的。

 

ですが、その奥には、
滞りなく作業を進めることで

「客をもてなす」という
究極の目的があります。

 

お点前における手順、
そのひとつひとつに決められた
こと細かな約束ごと。

 

それが、

ただひとつの目的に
集約されています。

 

目的を達成するための
最短で最小限の方法。

 

そのシンプルさに
洗練と美しさを感じます。

 

逆に、

余分な動作を「捨てる」ことが
合理い的で美しい動作を生み出す、

ともいえます。

 

つまり作法とは、

余分なものをそぎ落とした
無駄のない動作方法なのです。

 

そもそも作法は、

相手に対して礼を尽くすことを
目的としています。

 

「礼」とは
五常(ごじょう)のひとつ。

 

五常とは
「仁・礼・信・義・智」
の5つです。

 

そして、それぞれに
「五行」が当てはまります。

 

仁は「木」=思いやりの心

礼は「火」=定まった儀式作法

信は「土」=嘘を言わず疑わない

義は「金」=人としての道理

智は「水」=知り、わきまえる

 

作法は、
「礼=火」に該当しています。

 

火は、美しさと
表現力を象徴する五行。

 

つまり「礼=火」とは、

 

合理的で美しい動作で、
自分を無駄なく表現する力。

 

そして、

作法を身に付けるとは
「火」の要素を磨くこと。

 

火が燃えるためには、
燃料となる「木」が必要です。

 

木は、
他人を思いやる「仁」の心です。

 

作法の根っこには、

他人への配慮や
思いやりが隠れているわけです。

 

木は火によって燃えると
炭(土)になります。

 

火の作法が、
結果としてもたらすもの、

それが、
土である「信」です。

 

「信」とは、
偽りや疑いのない気持ち。

 

つまり、他人から
信用されるということ。

 

「土」は、
目的を象徴する五行です。

 

ようは

礼である作法を磨くことが、
結果として信用を得て、
目的達成に繋がる

というわけです。

 

五行とは、

自然という不規則な現象に
一定の法則を持たせ、
合理かしようとする考え方。

 

そこには「美しさ」があります。

 

いっけん「作法」は
神経質なこだわりに見えます。

 

しかし、それは
五行の法則に組み込まれた、
合理的で美しい開運法なのです。