自分の子供にも 他人と同じ教育をできる

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自分の子供にも
他人と同じ教育をできる
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成長の過程で、もっとも影響を
受けやすいのが幼少期ですよね。

 

中でも

「食」をはじめとする親の価値観は
子供に直接影響を与えます。

 

ひいては、

大人になってからの美意識に
反映される大切な要素です。

 

ある意味で「子は親の鏡」。

 

つまり、

子供の取る行動には、
親自身の体験が投影される

というわけです。

 

偉そうなことを書きましたが、
「じゃあ、あなた自身はどうなんですか?」
という声も聞こえてきそうですね。

 

僕には娘がいます。

 

娘と接すと時に
気を付けていること。

 

それは、なるべく

「他人と接する」ように
振舞うことです。

 

なぜ、
そんな態度を取る必要があるのか。

 

疑問に思われる方も
多いかもしれません。

 

実は、

僕の幼少期の体験に
その理由があるんです。

 

僕の両親は、ともに
お弟子さんに指導する
立場にいました。

 

弟子に指摘するときは遠慮などなく
その内容も、実に的確。

 

それだけに、
弟子からの信頼も厚かった。

 

けれど、
実の子供には甘かったのです。

 

自分の子供であれば、
「情」が強くなるのは当然です。

 

普段、弟子に
厳しく指導する立場と違って、

プライベートでは
身内に甘くなってしまうもの。

 

でも、僕は、

自分の子供にも
他人と同じ教育をできる。

 

それが理想的だと
感じたのです。

 

冒頭で、
「子は親の鏡」と書きました。

 

多分に漏れず、僕も
かつての両親と同じように、

娘にも甘く接しているはず。

 

だからこそ、意識的に、
他人と接するようにし、
自立を促すようにしているのです。

 

僕は娘に対して、
ああしろ、こうしろ
とは言いません。

 

まず、
本人のやりたいことを尊重し、
そして行動を見守ります。

 

例え間違ったことをしていても、
娘なりの理由があるなら
受け入れます。

 

そこには娘個人の
意思や哲学がありますからね。

 

「間違ったこと」を
咎めるのではなく、

「どうして、そういう行動をとったか」
を確認する。

 

ここが大事なんです。

 

もちろん、

周りに流されたとか
勢いでやってしまった時には、

遠慮なく厳しく叱ります。

 

つまり、
その行動に「理由」が無い場合です。

 

勉強に関しても
「もっと勉強しなさい!」
と強要などしません。

 

ただ、勉強は
「出来ておくように」
とは言います。

 

勉強ができずに、
惨めな思いをするのは
本人ですからね。

 

でも、それは
自分で選ぶこと。

 

あくまで、
ひとりの人間として、

彼女の自主性を
尊重するわけです。

 

ここまで書いておいて
変かもしれませんが、

僕は、

自分の子育てが
正しい方法とは思いません。

 

子育ての方法は、
人それぞれですからね。

 

ただ、

子供が自立するように、
自分で好きな道を選ぶように

それだけを願っています。