縁のある、慕ってくれる人に 深い感謝を捧げましょう

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縁のある、慕ってくれる人に
深い感謝を捧げましょう
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昔は好きだったけれど、
いまは嫌いになった。

 

そう思うこと、ありますよね。

 

相手だって、
自分をそんなふうに思うものです。

 

縁のある人、
慕ってくれる人に
深い感謝を捧げましょう。

 

縁が切れたら、
「あぁ縁が終わったんだ」
と、そう思うんです。

 

縁がない人とは、
かならず疎遠になります。

 

その数年だけの縁、
というのもあるのです。

 

どんなに人格者であっても、
この世に生きている以上、
過ちはおかします。

 

慎重になることも大事ですが
可能性を見出して、
思い切って殻を破ろうとする
熱意だけで僕は生きています。

 

どうでもいい人や、
嫌いな人に批判された場合、
気にすることはありません。

 

「文句を言い返さないと気がすまない」
という感情は、
自分も相手と同じレベルだということ。

 

嫌いな人にどう思われようが、
どうでもいいではありませんか。

 

言いたいことは
言わせておけばよいのです。

 

あなたが相手を嫌いなのだから、
相手もあなたを嫌う権利はある。

 

また、

「どちらが多く嫌うか」
なんて低次元な争いに
精神を浪費するのはバカバカしい。

 

つまらない意地など張らず、
人のことなど放っておいて、
あなたは自分の幸せを考えて。

 

ただし、

好きな人から誤解を受けて
批判された場合、

はっきり正当性を主張して
誤解が解けるまで話し合います。

 

相手との関係が重要なら、
その関係を修復すべく
努力することです。

 

けっして感情的にならず、
相手の話もよく聞く。

 

もし自分が間違っていた場合には
素直に反省する。

 

嫌いになった相手のことは
忘れてしまうといいです。

 

人は、ないものネダリをします。

 

ですから
「自分にあって他人にないもの」
を理解するのです。

 

自分に対して不満が多い人は、
魅力的に映らないですからね。

 

どんなに不満があっても、
それを「受け入れる」ことで
解決できてしまうものです。

 

人は落ち目になると、
どんなに知名度があっても
焦るものです。

 

そして

眼の上のタンコブに対して嫉妬し、
避難中傷しようとします。

 

本気で嫌いなものには
触れようとしないはず。

 

気になるから、
つい触れてしまうのです。

 

いじめやパワハラの原因は、
嫌いだからではなくて
気になってしょうがないからです。

 

うまくいかないとき
順調に進まないときには
相手のせいにしないこと。

 

人を批判する前に、
自分の非を認めて改めようとする。

 

だけれど、決して
自己否定してはならない。

 

昔から、僕も
「ほんとお前はいい奴だ」

とか、
「いや、お前の本性は利己主義だ」
なんて言われました。

 

僕は子供の頃から
「変な奴だ」とか、

大人になっても
「自分の利益しか考えていない」
と批判されたりしました。

 

実は20年前まで
少しだけ気にしていたんです。

 

でも、あるとき
どうでもいいと割り切りました。

 

好かれる人にだけ
好いてもらえればいいからです。

 

どんな仕事でもそうですが
特に接客業や営業などは

お客さんと必要以上に
親密になるべきではないんです。

 

かならず、
つらい思いをするからね。

 

適度な距離を保ちながら、
自分の存在を肯定し、

侵略を許さない状態を築き、
他人の批判や助言を素直に受け入れて
改善しようと努めるだけです。