知識というのは さりげなく表現されるから美しい

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知識というのは
さりげなく表現されるから美しい
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子供の頃から将棋が好きで
時間があれば周りの大人と指していました。

 

将棋を指すときって、
相手がどう動いてくるか
予測を立てるんですね。

 

この「読み」が
コミュニケーションの極意に
繋がってくるんです。

 

相手の心の動きを
考えながら発言するのと、
特に考えないで発言するのとでは、
印象に大きな影響が出るんです。

 

よく、

仕入れたばかりの知識を
ひけらかす人っていますよね。

 

知識というのは
さりげなく表現されるから
美しいわけです。

 

自然な空気が隠しだす知性に
なんとなく人は惹かれるんです。

 

相手が必要な情報を
さらっと提供するのが
インテリジェンスなんです。

 

それと反対なのは、
自分の「喋りたい」という
衝動と感情に身を任せた行為。

 

あまり賢い印象は
与えませんよね。

 

むしろ、人の印象には
安っぽくて滑稽に見えます。

 

知識と言うのは、
仕入れてから熟成させる。

 

それは、

話す内容と自分の器の
ギャップをなくすためです。

 

自分がしゃべりたいことは、
まだ自分の中で
昇華できない知識なのです。

 

その人の人格以降に
ご立派な意見なんです。

 

人って「意見」なんか
聞きたくないんです。

 

タメになる知識を知りたいんです。

 

机上の空論に
価値を感じる人なんていません。

 

尊敬していない相手から、
「じゃあ、あなたはどうなの?」
と反論されるのがオチです。

 

だから人は
離れていってしまうのです。

 

まずは、言葉と行動を
一致させる必要があるわけです。

 

相手が
その言葉を聞いてどう思うか?
なぜその質問をしたのか?
何を求めているのか?

と分析して、
相手のニーズに応じた言葉を返す
習慣を付けることです。

 

すると、

人の気持ちや不可能な原因を
想像できるようになります。

 

それが想像できれば、
相手を傷つけたり、
無茶な押し付けをしなくなる。

 

ようは、
気が回るようになる。

 

気が回る人は、
重宝されます。

 

自分に必要な人脈やお金、
仕事が集まってくるのです。

 

異常を、運命学では
「開運術」と呼ぶわけです。